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浪人せずに2021年中に大学生となって今や固く門戸が閉じられた台湾に入国するには、出願中で合否結果待ちの残りの大学に合格し、学生ビザを手に入れるしかない、
もしそれが叶わなければいつ終わるとも知れない浪人生活に突入するしかない、もうあとは合否結果待ちの一校に望を何とか託すのみ、
そんな絶対絶命の状況になっていました。
しかし、その時実は私には息子がこの年中に合格が必ず出るということが分かっていたのでした。
この記事、

この同じ時に大学入試を受けていたお客様の息子さん(我が家の息子と日柱と月支が全く同じです)と全く同じパターンで、2021年は必ずどこかしら合格が出る運の年だということが私には命式と年運からもうすでに分かっていたのです。

印星が巡れば受験など学業には有利です。
しかし同じ印星の年でもこの前年の庚子年ではダメ、
この二人の場合は印星の辛が天干に上がる2021年の辛丑年でないとダメ。
理由は正印だから、偏印だからなどではなく、墓支それと大運。
ただ印星の年だっただけてなくて、これが効いたおかげ。
そういう運命の年でした。
本人はわりと精神的には図太い所があるので高校の卒業式以降は近所のマクドナルドでバイトしながら普通に日常生活を送っていましたが、内心は精神的にかなり追い詰められていたことと思います。

現在新駅舎建設中でもう間もなく消えゆく100年近い歴史を持つ台鉄台南駅の構内。
この雰囲気、写真に収めてきて良かった。
もともと陽キャラ男子らしく占いの類は嫌いだし、怒りん坊なので入試のことなど持ち出したら神経を逆なでして過敏に反応して「いい加減なこと言うな!」と要らぬことで怒らせてもなと思い、この「必ず合格する運の年だよ」ということは母の私の心の中だけの秘密にしておきました。
本人から「合格できるか占ってほしい」と頼まれれば話しは別ですが、言わない方が良いこともありますよね。
余計なことは言わない、言わない、分かっていても言わない。
だから私だけのとっておきの秘密。
占いなんぞ彼の中では所詮母のお遊びの道楽に過ぎないもの。
そんなもので軽々しく「大丈夫、大丈夫、心配ないから!」なんて言って欲しくない。
きっとそんなところでしょう。
ちゃんと分かっています。
ですからこの時期、母だけは心の中で安心を秘めて過ごしていたのでした。

大学キャンパスの敷地は日本統治時代、旧日本軍陸軍連隊の軍施設や宿舎があった場所で、
当時の建造物がきれいに保存されており現役の校舎、教室として使われています。
そんな様子で春を過ごし4月下旬に入った所、出願していた台南市にある国立大学からポロンと合格通知のメールが届き、ほんの1か月足らずの短い浪人生活はあっけなく終わりが告げられました。
コロナ禍の影響ですっかり近くて遠い国となり固く閉じられてしまった台湾の重い門戸がようやく開かれ、そして一応台湾の中でも「四強」と言われるトップクラスの一角の国立大学への進学が叶いました。
嬉しさが爆発する時ですが、コロナ禍対策最高潮だったご時世の時期、
入学後に備えてさっさと台湾に語学留学ビザで渡航滞在して短期間クラスでも良いので現地の語学学校で中国語の勉強がしたいのにそれはコロナ対策で語学ビザ発給停止のためにできず、いつ台湾へ渡航できるのか?の状況が良く分からない時期がしばらく続き、9月の入学を迎えてから1か月間はオンライン授業という何ともおかしな心許ない「ご自宅留学」の状態でした。
そしてやっと台湾に渡航できたのは10月頃、
大学からの連絡に従って学生ビザを取得しようやく台南の地を踏むことが出来ました。

長く続く回廊が美しい。
「キレイ、キレイ!」と喜んでいたら、通りかかった若い女性の教員らしき方から大変流暢な抑揚も完璧な日本語で「どちらからいらっしゃいましたか?」と話しかけられました。嬉しくてちょっと長話し(^-^)
初めて子供を海外留学に出すという未知の世界ことで最初のうちは
「慣れない外国語だけの授業の中で勉強についていけずにすぐに帰ってきたらどうしよう」
などと思っていましたが、それは要らぬ心配だったようで早期に必要な単位を取り終えてしまったため、飛び級で1年早く卒業してしまいました。
しかも、最初の入学したての一年生の前期の学期を除き、それ以降の学期は全て、現地人学生と留学生区別ない全学部総合成績ランキングの上位者のみが受けられる返済不要の奨学金まで貰うことができ、円安が長引く中、これで大学へ納める学費の全ては賄えてお釣りまで来る状況になり、これは予想外の嬉しい誤算でした。
きっと「台湾では食べられない、自分の家の食べ慣れたご飯が食べたいから帰りたい」の一心で頑張ったのだろうと思います。
帰国直後は不摂生な生活でとても痩せていたのが帰ってきてからあっという間に肉がつきました。
家のご飯のありがたさと日本のそれも東京で暮らせることのありがたさが身に染みた大学時代だったようです。
卒業して帰国後もとても仲良くしている同じ学部の日本人留学生の友達との出会いもあり、台南にいる時期は異国の地でお互い助け合って学生生活を送っていたようです。
目をかけてくれる教授の方もいらして、学会などで東京出張の時などには卒業生となった息子と会食などの交流もあるようです。
なのでこの台南の地と縁が出来たのも何か意味があることだったのかもしれません。

台南から地元ローカル線と1日にほんの数本しか来ない地域のコミュニティーバスみたいな路線バスを乗り継ぎ、以前から来たかった烏山頭ダム(嘉南大州)を訪れました。園内はとても広いのでレンタルサイクルで巡りました。
今度来た時は遊覧船に乗りたい!

日本統治時代、貧しく不毛の地だったこの嘉南平原を豊かな穀倉地帯へと変えた灌漑施設の設計技術者、八田與一氏の像。
台湾の歴史教科書にも載る日本人。台湾に親日の人が多いのはこの方の功績が大きいです。
八田先生はダムが眺められる見晴らしの良い木陰の丘にいらっしゃいました。
ただ、学業と関係は上手く行きましたが長くなるので書きませんが実はこちらも予想外の災難のピンチ!に度々遭遇し、困難を乗り越えるド根性はかなり鍛えられた留学生活でもありました。
離れているは、そう簡単に渡航できる時期ではなかったはで、すぐに助けに行けないのかなかなかもどかしい事でした。
しかししかし、
あの受験合否待ちの時期には無駄に不安や焦りに苛まれることなく私一人だけのとっておきの心の平穏を得られて本当に良かったと、占術の勉強とのご縁に心底感謝したものでした。
あの高校卒業後のこの先どうなるか分からなかった時期に、実はお母さんは合格できるって分かっていたんだよ、だから全然心配してなかった。
合格できるって分かっていたけど内緒にしていたんだよ。
という話はまだ本人にはしていません。
いつ話そうかな?

皇太子時代の昭和天皇がこの地に行幸した際に植樹したガジュマルの木がある「榕園」。
大学キャンパス内の観光名所となっています。
記事中の写真は昨年12月に息子の案内で台南の出身大学構内と烏山頭水庫風景区を訪れた時のもの。
広大な敷地で歴史的な史跡も多くあるので、台南旅行では有名な観光名所の一つとなっています。
12月の冬なのに、緑豊かなキャンパスはまるで風薫る5月の初夏のような陽気のキラキラと清々しく心地良い空気が流れていました。
台湾旅行の際には是非台南観光おすすめです。

